クリスマスに母を見舞って
母が入居した特別養護老人ホームは多摩の西部にある。
最寄りのJRの駅からはバス。
道沿いに、同種の施設がいくつも並ぶ。
広い敷地を確保できる地域だったのだろうか。
停留所から少し戻って信号を渡り、施設への道を曲がるとすぐに橋がかかっている。
欄干にトウキョウサンショウウオの絵が描かれている。
下の流れに生息しているらしい。
橋を渡りきって左に折れるとホームへのスロープだ。
左手は山裾の雑木林で、ホームは右手に、山を背にして建っている。
わたしの住まいから、距離としてはさほど遠くはないのだけれど、乗り継ぎに時間がかかるため、ホームが見えると、やっと着いた、と思う。
受付で職員に挨拶をして、面会票を書き、エレベーターに乗って二階へ。
母はいつも食堂にいる。
車椅子に座って、テーブルの前に。
きのうはおやつの時間の頃にいったのだけれど、コップに入ったミルクは手つかずのまま。
わたしを見ると、とてもよく知った人を見た、という表情で、あらあ、きたの、という。
わたしは、テーブルの上に、持っていった花を置くが、母が反応するまでの時間がだんだん長くなっているのがわかる。
きれいねえ、という言葉は出るが、その前後は、意味が分からない。
明瞭な声ではきはきしゃべり、わたしの反応を待っているのがわかるが、どこをとらえてなんといえばいいか、言葉に窮する。
母のテーブルには、同年輩の女性と、男性もいる。
席は決まっているようだ。
離れたところから声を掛けてくる女性もいつも同じ席。
平日の昼間ということもあって、他には見舞客はいない。
40人くらいの人たちを、一人で見舞っているような錯覚に陥る。
帰りのバス2本分の時間、座っているのがやっとだ。
バスの時間だから帰るね、またくるね、というと、母は、そう、気をつけてね、という。
そこはまた意味が通じる。
エレベーターの前に立ち、介護士さんの手が空くのを待つ。
エレベーターの扉には鍵がかかっていて、鍵の入れ物は高いところ磁石でつけてあるのだ。
扉が開いて、振り返って母のほうを見る。
きのうはこちらを見ていなかった。
介護士さんに「よろしくお願いします」とお辞儀してエレベーターに乗る。
受付でまた挨拶をして、鈴のついた内側のドアを開けて、スリッパを靴に履き替え、もう一つのドアを開けて、外に出る。
停留所でバスを待つ。
最寄り駅から電車に乗る。
座席に座ったとたんに、疲労がやってくる。
いつも、最初の電車に乗ったときに。
緊張がほどけるからか、もう帰れるという安堵か、またすぐに帰ってきてしまったという負い目か。
きょう、遅い朝のベッドのなかでわかったことがある。
無力を感じるための疲れなのだと。
頭では、母の状態はこういう「段階」であって、誰かがどうにかしたからでも、どうにかしなかったからでもない、わたしもできるだけのことはしてきた、と納得しているはずなのだけれど、実際に母に会うと、ただ痛ましい。
そんな様子は、もう見せないで欲しい、と叫びたくなる。
しかし、けさは、こうも思った。
母も、食堂に集っている他の人たちも、きょうという日を生きている。
母は、リハビリの療法士さんに向かって「わたし生きてる?」と聞いたそうだ。
動かないでいると、生きているかどうかわからないのだと。
母たちが生きていて、わたしたちも生きている。
その日々を重ねていくこと。
わたしたちみんなで、できること。