羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

ゆるすこと

母とホームで会ってくると、しばらく落ち込んでしまう。

クリスマスから新年。

内側で沈んでいた。

 

前回書いたように、無力ということもある。

4年間の介護のなかでは、認知症状への対応がやっと。

ほんとうの原因を突き止めることができなかった。

悔しい思いが振りきれない。

 

それとは別に、母とはこどもの頃から葛藤が続いていた。

介護することに抵抗があった。

認知症状が出たからといって、一人しかいないこどもだからといって、なぜ。

 

母の過去の言動をゆるすことはどうしてもできなかった。

もしゆるしたら、苦しんできた自分は置き去りになってしまう。

その思いは、母が入院して離れてからも変わらなかった。

 

それでも、この10日足らず、落ち込んでいた間に、一つわかったことがあった。

ゆるすことが難しいのは、これまでゆるせずにいた自分をゆるさないことから始まるように思うからだ。

 

意味の通る会話もできなくなるに至ってまで、母をゆるせずにいる自分。

その自分を責めて、もうゆるさなければ「いけない」と考える自分。

 

そうではなくて、ゆるせなかった自分をゆるすことから始めたら、どうなのだろうか。

母よりも誰よりも、かたくなに母に「謝れ」と思いつづけてきた自分を。

 

じつは、それだけでいいのかも知れない。

わたしがわたし自身をゆるすことができればそれだけで。