羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

マーケットにて

そしてわたしのはじまりは。

最初の日に書いたように、マーケットの魚屋さんの前にいたときだった。

6歳だったと思う。

 

足元のコンクリートは水が浸みて黒い。

目の前の台には、魚が並んでいて、一面に銀色に見えた。

大きな氷がところどころに置いてあって、ときどき、つーっと魚の上をすべってくる。

 

魚の向こうには大きな樽があり、その上のまな板でおじさんが魚をさばく。

水道の蛇口にはめられた水色のホースから、樽の中に水がずっと流れこんでいる。

 

見上げると裸電球。

その光を追って、また魚を見る、おじさんを見る、氷やホースを見る。

隣には母がいる。

そのときふっと、これはなんだろう、と思った。

いま見えているこれは、なんなのだろう。

 

足が床から浮かびあがった気がした。

見えているものから、それらが示す意味から、自分が切り離されて、時間のなかに浮いている。

大人の言葉ではそうなるが、当時のわたしは、シャボン玉の中に入ってしまったような膜の感覚を、ただ見つめていた。

 

それが、わたしの世界のとらえかただと理解するまでには長い時間がかかった。

ふいに運ばれてそこに戻ることも、意志で戻ることもあった。

誰かと会話しながらそこにいることもできた。

 

話を聞かせてくれた他の人たちと同じように、わたしの内側はあのときから変わらずに続いている。

わたしの体がどこにいても、わたし自身は動いていない。

そう思える。