羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

ゴブラン

駅舎の外壁に取り付けられている駅名の看板。

暗くなるとライトが灯って浮かびあがる。

わたしの最寄り駅の看板は、仕事でこの5年間、折々に訪問している会社が製作したものだ。

社長はもちろんのこと、社員の人たちとも言葉を交わすし、社内の景色とも親しい。

駅に向かうとき、駅から出てきたとき、看板を見上げて彼らのことを思う。

 

そこから考えてみた。

最寄り駅の看板の向こうにあるのは、知っている人たちの顔だから自分とつながっていることを感じやすいけれど、他のたくさんのものも、それは変わらないのだ。

すべてのものには作った人々がいる。

ほんとうに、すべてのものに。

 

部屋のなかにいるだけでも、わたしは数えきれない人々とものを通じて縁を結んでいる。

ともだちのともだちを6回つなぐと国の代表者にもいきつくという理論について聞いたことがある。

ならば、わたしは部屋で暮らし、外に出かけ、ときに遠くまで旅行することで、世界中の人とすでに結ばれているのだろう。

たとえば部屋にある椅子を見つめるだけで、気が遠くなるような思いがする。

 

また、そのいっぽうで「キミとボク」という歌にこんな歌詞がある。

「人と人のめぐりあいは 砂のつぶほどの奇蹟さ」

わたしも実感する。

あのときそこを通るのが、もう5秒早いか遅いかしたら出会わなかった人と、いまは親しく会話しているのだ。

 

世界中のすべての人と結ばれながら、世界にたった一人の人とめぐりあう。

どちらかだけではなくて、両方が同時に自分をこの世界につなぎとめている。

そしてそれは繰り返されて、互いの人生を織りなす。

 

わたしたちは、大きな大きなタペストリーの一部分であり、タペストリーの織り子でもある。

美しく織り、美しい模様となることを。