文鳥日記
20代のまんなかで、一人暮らしをした。
引っ越し荷物を作るさなか、小学校3年生のときに書いた文鳥の飼育日記が出てきた。
B5のノートに濃い鉛筆で書いてある。
ところどころに色鉛筆のスケッチが入っていたり、羽がそのままセロハンテープで貼ってあったりした。
羽もまばらな雛鳥のときから飼いはじめて、名前を呼ぶと返事をするほど慣れたが、寄生虫のワムシというのにやられて1年足らずで死んでしまった。
羽をふくらませて止まり木にじっとしている、ぐあいが悪そうに見える、という記述で日記は終わっている。
わたしが学校から帰ってくる前に死んだので、母はなんといおうかと困ったのだそうだ。
泣きながら公園に埋めにいったのを覚えている。
その日記を、当時仕事を教えてくれていた編集者に見せた。
一丁前に書いているでしょう、と。
彼はいった。
文章のリズムがいまと同じ、このころから変わっていないんだね。
自分では気がつかなかった。
おそらく、いまも変わっていないのではないかと思う。
毎日なにかしらの文章を書く習慣はこの日記からついたものだ。
インフルエンザで寝込んでいるときと、産後の数日が2回。
それ以外の日はおそらく毎日書いている。
ということは、わたしは、あのころからいままで、ずうっと「文鳥日記」を書きつづけているのかも知れない。
文鳥のクックは死んでしまったけれど、言葉はいつも、わたしの手のなかで温かく息づいている。