sourire ── 微笑み
わたしには、とっさに感情を隠してしまう癖がある。
こどものころの環境によって、自分が感情を出すとなにかが壊れると思いこんだからだ。
感情を出しても、いやなものは去らないし、自分はどこへもいけない、という絶望も同時に感じていた。
感情を隠すには、無表情では足りない。
笑顔にならなくては。
それも嘘の笑顔ではだめで、心から微笑んでいなければ。
わたしがうれしくて微笑んでいる顔と、絶望して微笑んでいる顔は、まったく同じだった。
身の上のために最高にいやな思いをした瞬間は、21歳のときに訪れた。
泣きながらそこから飛び出していってもいい状況で、わたしはただ微笑んでその場にいつづけた。
こんなに時が経ってから、そのときのことをたまらなく悔しく感じている。
そこにいた大人全員の口に、でっかいぼた餅でもねじこんでやりたい気持ちだ。
でも、その時間、微笑んでいたわたしと、泣いて飛び出したわたしをそれぞれ平行宇宙に置いてみるなら、微笑んだわたしがこれまでに得たもののほうが、わたしの欲しかったものではないかとも思う。
おそらくは一生をかけた遠回りをしながら、わたしは、あのときもどのときも微笑んでいてよかった、と思えるところにゆきつくのだろう。
絶望が喜びに包みこまれて、次に開いたら消えている。
すべては喜びに変わる。
微笑みも重なって、一つになるだろう。