羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

相手を決める

一人称が決まった、自分だけでこっそり書いて読んだ、文章と自分の距離が近づいてきたような気がする。

そしたらどーんと、書きましょう。

 

なにを。

 

なんでもいいんです。

 

それが困るんですよ、作文の題が「自由」ってやつでしょ。

あれは苦手。

 

いや、なんでもいいっていうのは、相手を決めることのほうが先だから。

相手が決まれば、書くことはなんでもいいの。

 

そうなんですか。

 

たとえば、相手が好きな人なら。

 

好きな人なら。

 

好きだってことしか書くことはない。

 

えええ。

それはまた極端な。

 

好きだってことを伝えるために、題材を探すわけですよ。

なにを書いても、要は好きっていいたいだけ。

 

ここはラブレター教室なんですか。

 

いえ、文章教室ですよ。

どんなに広く公にして書く文章だとしても、相手はいるんです。

架空の誰かが読むのではなくて、実在の人物が読む。

未知というだけで、その人は、好きな人と同じに、リアルに存在しています。

だから、伝えたい相手というものを、リアルに想定する。

まだ見ぬ人の生命に向けて書く。

そのように感性を絞り込んでみる。

あとはなにを書いても大丈夫。

相手はきっと受け取ってくれる。

「相手を決める」っていうのはそういうことなんです。

 

 

自分の文章を人に読んでもらおうとすること自体が、とても楽観的な行為だ。

それを自己満足に落とさないためには、読んでくれる人のことを、好きな人のことと同じくらいいつも思っていることが大事。

 

なにを書こうかな、なにを書いてやろうかな、と、テーマで頭を巡らせる前に、相手のことを考えよう。

これが忍冬流極意その三。

 

広告を非表示にする