ペンの達人
修業時代の師の一人。
日本で最初の女性週刊誌の創刊時からライターとして活躍していたところを、新聞社の編集局に引き抜かれ、編集委員となったYさん。
インタビューの名手だった。
一度、2時間のインタビューに同席したことがある。
食事をしながら、お酒を飲みながら、相手の女優となごやかに会話して、メモは取らない。
録音もしない。
合間にわたしに「これで書けるかと思うでしょ」と聞く。
「思います」と答えると、片目をつぶって見せた。
翌週、インタビューは記事になった。
たしかに、会話から原稿が起こされていた。
作った部分はない。
しびれた。
真似したい、と思ったけど、現場では怖くて、メモを取らないなんてことはとてもできなかった。
修業が違うもの。
あるとき、編集部で彼の机の上を見た。
本人はいなくて、原稿用紙と万年筆があった。
週刊誌の文字数で作られた専用の原稿用紙で、升目が大きく、10行で1枚だ。
達筆で2行書いて3行めのなかほどで止まっている。
そこに万年筆が置いてある。
どこにいったのかな、と思いながらその様子を記憶した。
それからしばらくして、編集部の帰りに彼とお茶を飲んだとき、彼自身の師匠の話をしてくれた。
「俺たちは売文業、一文字いくらでお金をいただいている、原稿用紙にいったん書いた文字は消してはいけない、と教わったの」
「じゃYさんも消さないんですか」
「うん、消さないよ」
メモは取らない、録音とらない、文字は消さない。
武道の達人みたいだ、と思った。
古い言葉だけれど、見た目は「軟派」で、わたしの横でいつも鼻歌を聞かせるYさん。
「あめあめふれふれもおっとふれ」と八代亜紀の節で歌ってそのまま「ぴぃちぴちちゃぷちゃぷらんらんらあん」と続けるのだ。
そんなYさんがひとたび剣ならぬペンを抜くと、2時間分のインタビューをすべて頭のなかで構成して、一文字も直すことなく4ページの原稿を書き上げる。
このあいだ見た、途中でやめてペンを置いてあった原稿も、帰ってきたらそこからまた続きをすらすらと書いたのだろう。
まるで一筆書きのように。
役者顔のYさんが、遊び人の振りをした隠密同心みたいに見えてきた。
わたしがいまかろうじて彼のようにできているのは、録音をとらないということだけだ。
インタビュー中にメモをとり、メモが間に合わず不明な点は次の質問で聞いていく。
その場で明らかにしないと、あとで録音を聞いてもその部分は原稿にならない。
相手の言葉が聞き取れたか聞き取れなかったかの問題ではなくて、聞いたことをその瞬間に自分が言葉にして出力できたどうかなのだ。
その過程を、Yさんは出力しないで行っていたということか。
達人の域は、想像してもわかるものではないけれど。