羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

父のバーバリー

父は着道楽だった。

スーツは老舗テイラーで誂えた三つ揃い。

シャツもオーダーで、腕にイニシャルの刺繍入り。

ネクタイはフランスもの。

靴はイタリア製。

 

レインコートはバーバリーを着ていた。

わたしが覚えているのでは、最初がカーキの濃い色のステンカラー。

それが古くなって、次がオイスターホワイトのステンカラーだった。

 

父と二人で名古屋の親戚の家にいったことがあった。

ちょっとした挨拶だけで、すぐに東京に帰った。

5月の始めで、名古屋駅の新幹線プラットフォームは風が強かった。

父はオイスターホワイトのレインコートの前を広げ、わたしに風が当たらないように遮ってくれた。

 

その姿を何度も思い出す。

父のことを考えるのがつらいときにも、忘れることはなかった。

 

80歳を越えてから、父は最後のバーバリーのコートを買った。

カーキ色のスポーツコートで、丈が短く、ライナーがついている。

母とデパートにいって、値札を見たら6万いくらで安いと思い、すぐにレジに持っていったのだそうだ。

「そうしたら9万いくらだったんだよ。値札を逆に見てたの。でもそこでじゃあやめますとはいえないから買っちゃった」

そういってうれしそうに着ていた。

 

しばらくして寝ついた父は、そのコートをわたしの息子に譲るといいだした。

まだ中学生だったが、もう着られるだろうと。

実際にもらってきたのは、父が亡くなった後だった。

 

大学に入ってから、息子はそれを毎年着ている。

父は腕の長い人だったので、15センチ身長の高い息子にも小さくはない。

 

外で待ち合わせたとき、息子がこのコートで現れると、ふわっと、父がきたように思う。