わたしの落語史4 「文七元結」
当時、というのは1980年代の初め、落語にはブームがきていた。
談志師匠と古今亭志ん朝さん、三遊亭圓楽さん、橘屋圓蔵さんが「落語四天王」と呼ばれていた。
談志師匠も高座を数多く勤めていたから、わたしも忙しかった。
家から2時間くらいかかる遠くの大学の学園祭も聴きにいった。
師匠の凄さは演技のリアリティにあった。
たとえば「文七元結」で娘を吉原に売った50両を懐にしまうところ。
四天王のある一人は着物の衿の合わせ目から普通にさっと入れただけだった。
談志師匠は、50両の入った革財布に見立てた手拭をつかんだ右手を袖から中に入れて、襦袢の懐に引き込んだ。
そこで帯にはさむようにして手を出してきて、着物の外から何度も入っているところを確かめて落ち着かせるしぐさをする。
それくらい大事なお金を、店のお金をなくして橋から身を投げようとしている若い手代にやってしまうのだ。
そのときの逡巡と思い切りが、お金をしまうところの念入りな動作でリアルになる。
ある高座での師匠の着物をいま思い出した。
明るい青紫だった。
襦袢は若竹色。
とても似合っていた。
その着物姿で落語会の主任(とり)を取り、サゲに続いて客席に深々と頭を下げる。
幕が下りるぎりぎりに顔だけ上げて横にして、いちばん前にいたわたしに向かって舌を出した。
いいできだったろ、の意味か、まずかっただろ、の意味か。
両方の意味のようにわたしには受け取れた。
素顔の師匠はいつも照れていた。
自分のうまさにも照れていたのだ。