mon oncle 1 適宜に
僕とのことも書いて、と伊丹さんがいっている気がするから、きょうからは伊丹十三さんのことを。
こんな有名な人を知っていたという自慢話にまたなるけれど、わたしなりのレクイエムということで、よかったらおつきあいください。
大学のときに、学生ミニコミに関わっていた。
いまでいうとインカレ、インターカレッジか。
あちこちの大学から集まって、本と映画とレコードのレビュー雑誌を作っていたのだ。
いっぽう伊丹さんは当時精神分析に興味を持っていた。
1981年だから、映画を撮り始める前、文筆活動をしていた頃だ。
『モノンクル』という専門誌の発刊を準備中ということで、わたしはそのミニコミ誌からインタビューに向かった。
「モノンクル」とはフランス語で「ぼくのおじさん」。
伯父、叔父、小父さん的立場から、心の問題を解いていこうというコンセプトだった。
渋谷のマンションの一室にあった編集部を、もう一人の学生とプロのカメラマンと訪れた。
初夏の午後、伊丹さんはラフなシャツ姿で、中国茶をわたしたちにすすめてくれた。
そしてポットをテーブルにおき「あとは適宜に」といった。
「あとは適宜に」。
いかにも伊丹さんらしい言葉遣いだなあ、というのが最初の印象だった。
インタビュー自体は、いうのもなんだけど、もう一般誌で経験があったからなんということもなく終わった。
1時間くらいつきあってくれたと思う。
帰ってから、わたしは伊丹さんに手紙を書いた。
そう、得意の手紙だ。
でも、これはファンレターではなく、モノンクル伊丹さんへの相談の、もっといえばSOSの手紙だった。