mon oncle 2 高そうなお寿司
わたしはそのころ、ときおり襲ってくる非現実的な感覚に怖れを抱いていた。
あの、なにもかもが遠ざかっていくようなときを楽しめない時期にあったのだ。
自分は心を病んでいるのではないか、しだいに激化して元に戻れなくなるのではないか。
毎日不安だった。
そのことを伊丹さんへの手紙に書いた。
自分が思う、そうなる理由と背景についても説明した。
数日後、家に電話があって、母親が出た。
「伊丹十三さんよ」
母はあとでいっていた。
ごく自然にいわれたので、自分も自然に答えて取り次いだと。
手紙にきっちり電話番号まで書いていたのは、自分でも確信的だったと思う。
もし、伊丹さんが連絡を取りたくなったときのために書いておいたほうがいい、ものの1行なんだから、という、ちゃっかりしたところがあったのだ。
伊丹さんは、あなたの手紙の内容は非常に興味深い、できれば雑誌で取り上げたい、ついてはまず打ち合わせにこちらまできてもらえないか、マンションの下にあるレストランで待っているから、といった。
わたしは承諾し、日時の約束をして、電話を切った。
伊丹さんは、テラスの席に脚を組んで腰掛けていた。
6月の夕暮れで、空気はしだいに青みがかってくる。
伊丹さんのダークスーツにも青い影が落ちていた。
「モノンクル」では巻頭に対談形式の人生相談を載せたい、協力してもらえないだろうか、準備はなにもいらない、あなたはただきてくれればいい。
伊丹さんの言葉に、わたしは悩みも忘れてわくわく。
頼もしいおじさんを揃えて待っています。
にっと笑って伊丹さんはコーヒーカップを持ち上げた。
乾杯のしぐさで打ち合わせ完了。
当日、編集部にいくと、すでに全員が集まってわたしを待っていた。
心理学者の岸田秀さん、精神科医の福島章さん、イラストレーターの南伸坊さんと、伊丹さん。
テーブルには、高そうなお寿司の桶。
赤いマグロも黄色い卵もない。
どのネタもベージュがかっていて透明感があった。
伊丹さんは、さあ、まずは食べて、と声を掛ける。
曲者らしいおじさんたちに囲まれて、緊張しながらも、お寿司をかなりぱくぱく食べた。
もちろん、おいしかった。
それから対談開始。
このときの様子は、文春文庫の「自分たちよ!」におさめられている。
南伸坊さんのイラスト入りで。
専門家に話して、悩みは解消したかどうか。
じつはぴんとこなかった。
これは人に相談しても埒が明かないことなんだとわたしは理解した。
「人」というには贅沢なメンバーだったけれども。
しかし、伊丹さんとの縁はこれで終わったわけではなかった。