自分を、信じる
きのうの自信の話のつづき。
得意なものに自信があって、不得意なものや苦手なものには自信がない、という前提が違うのではないかと思えてきた。
自信が「自分を信じる」ことなのであれば、なにかが得意だから自分を信じたり、なにかが不得意だから自分を信じなかったりというのはそぐわない。
自分以外の人を見て、なにかが不得意だからその人のことを信じないということはない。
人を信じるときは、その人の目を見るだろう。
まっすぐに返ってくるものがあるかどうか。
同時に、自分がまっすぐに返せているかどうかもそのときわかる。
目のなかにその人の心が見えたら信じる気持ちが生まれる。
信じた自分の心もそこに映っている。
自分自身への信頼も、自分を見つめることから始まるのではないだろうか。
うまくいってもいかなくても、成功しても失敗しても、わたしは自分を投げ出さない。
このままの自分でも、成長しても後退しても、わたしは自分と離れない。
そういってくれる「わたし」を自分が信じている。
しちめんどくさいけど、そういうことではないだろうか。
自分をくさすのは自分だけだし、自分をなじるのも自分だけなのだ。
くさしたりなじったりけなしたりすることをやめれば、自分はどんなにほっとすることだろう。
自信は、そんな安らぎの感覚だと思う。