羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

おむつクロニクル

夜も遅いのでもう大丈夫かな。

きょうはおむつの話。

これからご飯の方はのちほどまたお読みください。

 

長男育児中、わたしはずいぶんストイックだった。

完全母乳育児のためにマッサージに通い、玄米菜食を貫いた。

肉、卵、乳製品、油、砂糖、白米、白パン禁止。

玄米と野菜と大豆製品しか食べなかった。

そしておむつは布。

寝不足で栄養不足のヘロヘロの体で、おむつの洗濯にも追われていた。

 

母乳の話はまた今度にしよう。

外出のときはさすがに紙おむつを使っていた。

息子は電車が好きで、1歳を過ぎてからは、毎日、電車に乗ったり電車を見たりするために午前中から夕方まで出かけていたので、紙おむつの使用頻度も上がっていった。

 

布おむつは、濡れると気持ちが悪い。

その不快感でおむつを外すわけだ。

それに対し、紙おむつは、換える回数を減らすために「たっぷり吸収しても表面さらさら」になるように作ってある。

息子本人がそのことに気づいてしまった。

紙おむつなら快適だし、わたしに捕まって換えられる回数も少なくなる。

ついには、家にいるときにも、自分で紙おむつを持ってきて、これにしてくれという意思表示をするようになった。

 

「そんなことができるならおしっこっていって」

 

とわたしはいったが、息子はおしっこはまだいわなかった。

 

4年後、娘も同じことをする。

娘は肌が弱く、ただの布おむつではかぶれてしまったので、特別な化学繊維でできたネットと成形されたパイルのおむつ、これも特別な化学繊維のおむつカバーという、高価な特殊布おむつセットを着けていた。

それでも、外出のときは紙おむつを使ったので、濡れない感覚を覚えたのだ。

生まれついてのしっかり者の彼女は、特殊布おむつを自分で脱いで紙おむつを持ってくるという積極性を見せていた。

わたしは彼女にもいった。

 

「だったらおしっこっていって」

 

さて、時は昭和の半ばに遡る。

2歳前のわたしは、東京の立会川、戦前から建っているアパートの一室で、畳に置いた牛乳瓶にストローをさし、その前にしゃがみこんでストローで牛乳を飲んでいた。

この家の主、左官職人の竹松が火鉢の向こうからそれを見ている。

彼と彼の妻は毎日わたしを夕方から深夜まで預かってくれていた。

 

彼は笑いを含んだ声でいう。

 

「水物ばっかり飲みやがって、おしっこ漏らすなよ」

 

わたしはいった(と後から聞いた)

 

「おむつしてるもん」

 

竹松破顔して、

 

「ばかやろう、そんな生意気がいえるなら、おしっこっていえ」

 

因果はめぐる糸車。

DNAってすごい。