文字を覚える
応答型ママだったわたしは、読み書きについても、こどもたちの求めに応じたのみだった。
息子は幼稚園の年長組のときにポケモンを始めた。
忘れもしない緑色のゲームボーイ。
彼はそれを一日に何十回となくわたしのところに持ってきて、聞いた。
「なんて書いたある?」
方言ではないのだが「書いてある」の「て」と「あ」がリエゾンしてこうなるのだった。
わたしはその都度、ダイアローグのなかを読んでやる。
「ピカチュウのこうげき!」
「リザードンをつかまえた」
あとはよく覚えていない。
めんどくさいと思ったことがなかったのは、やはり、書いてあるものならなんでも好きな性分だからか。
くる日もくる日も、わたしはなんて書いてあるかを読み聞かせつづけ、息子はポケモンをつぎつぎに捕まえていた。
そしてある日、息子はわたしに聞きにこなくなった。
その日、彼のなかで、ポケモンクロスワードパズルのカタカナ編とひらがな編が、同時に完成したのだ。
カタカナとひらがな、両方とも、ある日突然に読めるようになっていた。
最後のマスが埋まるときの音を聞いてみたかったものだが、それはたしかに、一日のうちのできごとだった。
かたや娘は行動から入っていった。
幼稚園の年中組に上がった頃、ともだちに手紙を書きたいという。
レターセットを渡してやると、便箋一枚に、びっしりとミミズを這わせた。
つまり、彼女の思う字のようなものを最初の行から最後の行まで、各行頭からおしりまで、きっちりと書ききったのだ。
そしてそれを封筒に入れ、スティック糊で封をし、翌日幼稚園に持っていった。
手紙を渡した女の子のおかあさんも、洒落の利く人だった。
翌日、お迎えのときに会うと、いいお手紙だったわねえ、と笑顔でいってくれた。
字を書きたいという娘に、息子のともだちも協力してくれた。
うちに遊びにきた二人の男の子は、息子の使いかけのこくごのノートに、ひらがなを書き、すぐに消しゴムで消した。
そして娘にいうのだった。
消したあとに残ってる線をなぞってごらん、字が書けるよ。
なんて優しいの。
わたしのほうが感激していた。
娘がなぞったのを見せると、彼らは上手上手、と花丸をつけてくれた。
こうして娘はひらがなを覚えた。
読むほうは、漫画を一冊まるまる読んだ振りをするところから始めて、いつの間にかほんとうに読んでいた。
読んだ振りなのがバレバレでも、息子はからかったりしなかった。
わたしも、もう読めたの、すごいねえ、と褒めただけ。
息子のジェントルさと、わたしのオーバーめのリアクションが、娘を助けていたのだろう。
二人に共通しているのは、自分の興味のあるもので覚えたということだ。
そこには意欲があった。
興味も意欲もこども自身に任せていれば、きっと湧いてくるものだと思う。