空月謝 1
息子と娘は、地元の同じ幼稚園に通った。
3学年違いなので、わたしにすれば連続6年、送り迎えで通ったわけだ。
しかし、そのうち1年は、それぞれが半年ずつ登園拒否。
ともに年中組のときだったが、理由は違った。
息子は、最初、あるともだちが工作を踏みつぶしたり、意地悪なことをいってくるからいきたくないといった。
幼稚園の方針は、けんかしても見守り。
どちらが悪いともいわない。
その子のおかあさんと話をさせてくれと申し出たがノー。
息子は依然としていきたがらない。
わたしは、直接おかあさんに話したが、幼稚園に任せていますとしかいわない。
息子とわたしが悪いのか、これしきのことでいけなくなるのは情けない親子なのか、と悩んだ。
味方が誰もいない気がした。
夏休みをはさんで半年そういう状態が続き、わたしは追いつめられた。
幼稚園のベテランの先生は、息子さんを抱きしめてあげてください、という。
なぜわたしがまちがっているといわれるのだ、と悲しく悔しかった。
そんな幼稚園や先生たちはもういい、と思った。
幼稚園は辞めて、学校にいくまで、息子と娘と三人で過ごそうと。
そう考えてみると、娘が生まれるのと入園がほとんど同時期で、息子はわたしに甘える暇がなかったということに気づいた。
二人の育児は重労働で、もともと体力のないわたしは、毎日夕方には気が遠くなりそうになっていた。
息子が幼稚園の帰りに、娘を乗せたベビーカーのハンドルにもたれかかるのを「重い」と怒ってやめさせたこともある。
それくらい余裕がなかった。
気づいてすぐに、息子に謝った。
いままでごめんね、優しくしてあげられなくて、ママの力が足りなかった。
いいんだよ、と息子はいってくれて、そこからは二人で号泣。
娘はわたしたちをじっと見ていた。
きょうはどこでもいきたいところへいって遊ぼう、とわたしが泣きながらいうと、息子も泣きながら、地下鉄博物館、という。
それで三人で葛西の地下鉄博物館へいった。
その翌日から、息子はなにごともなかったかのように幼稚園へいった。
幼稚園もともだちも先生も、なにも変わらなくても、いけるようになったのだ。
それからは卒園まで、風邪気味で自ら「だいじをとって」休む以外は休まずに通った。
息子が卒園して、入れ替わりに入園した娘。
彼女の登園拒否のてんまつについては、あしたに続く。