羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

説教するときは

こどもたちそれぞれと一対一の関係を結ぶということに関連して、もう一つ。

わたしが無意識のうちに避けられたことがあった。

自分が一人っ子だったために、息子に対して「おにいちゃんなんだから」という言葉が出てこなかったのだ。

 

「おにいちゃんなんだから、妹に譲ってあげなさい」

「おにいちゃんなんだから、我慢しなさい」

「おにいちゃんなんだから、ちゃんとしなさい」

 

どれもいったことがない。

息子は妹に名前をつけるほど、生まれる前から大事に思っていたから、きょうだい関係では、叱らなければならないようなことはなかった。

とはいえ、忍耐が足りなかったり、詰めが甘かったり、説教したいことはいろいろあった。

ただ、そこに「おにいちゃんなんだから」をつけることは思いつかなかった。

 

それは結果として、息子を尊重することになった。

未熟な点があっても(あるに決まっているが)それは息子本人の問題であり、きょうだいの順番とは関係がない。

おにいちゃんなんだから、そんなことではいけない、という話ではなく、きみ自身が成長することが必要だ、という話ができた。

 

長所も短所も、本人だけのものだ。

誰かに比べて、優れてる、劣っているということではなくて、自分の個性の両面として、自分自身でどう対処していくかを考えて欲しい。

これはわたし自身にもいい聞かせていることである。

 

正直にいうと、わたしが、人と比べてお説教されるのがすごくいやだということもある。

わたしと違って誰かはそれができているといわれると、すごく腹が立って、改めるどころではなくなってしまう。

これもまた、一人っ子の「比べられたことがない」ことの影響だろう。

 

誰とも比べられず、おにいちゃんだからといわれることもなく、大人に話すように理屈っぽく説教される兄をずっと見ていた娘は、あるときこんなことをいった。

 

おにいちゃんがおにいちゃんでよかった、おにいちゃんが弟だったらたいへんだった。