こわかったこと
育児していて、いちばん怖かったのは、こどもたちが死んでしまうことだった。
それは妊娠がわかったときから、始まっていたのだと思う。
息子のときはつわりもなくて、妊娠中は元気いっぱいだったのだが、娘はつわりから始まって後で気づいたくらいで、安定する間もなく、すぐにおなかが張るようになってしまった。
お医者さんの説明では、着床したところが下すぎて、もう頭が子宮口についてしまっているため、子宮が収縮するのだと。
妊娠6か月に入ってすぐに入院し、クリスマスと新年をはさんで40日間個室で暮らした。
毎日「張り止め」の点滴を受けながら、赤ちゃんが無事でいますようにと祈るしかなかった。
その点滴には、動悸を早くする副作用があり、受けているあいだじゅう、まるで走っているかのようで苦しかった。
はっきりいって、無事に生まれてくることを信じていたのは、息子とわたしとお医者さんだけだったと思う。
そして、息子と娘とわたしの三人でがんばり抜いたのだ。
退院しても毎日家で寝ていなければならなかった。
息子はわたしといっしょにいられるだけでうれしくて、どこかへいきたいとはいわなかった。
レゴで遊んだり、ビデオを見たり、ずっと二人で過ごした。
いまでもアニメの「とんでぶーりん」のテーマ曲を、なにかの拍子に聴くと、あのときの家のなかの様子を思い出して泣けてくる。
泣けてくるが、あのときがあったから、いま三人で笑っていられるのだ。
こどもたちがけがをしたとき、高い熱を出したとき、脱水症状になったとき、わたしは生きた心地がしなかった。
このまま神様に連れていかれたらどうしよう。
病院へ向かうタクシーのなかで、がくがく震えた。
この恐怖を支えてくれるものはなにもない。
こどもを抱きながら、凍るほどの孤独を感じていた。
そんなわたしを、神様はそのつど救いだしてくれた。
風邪のエンドレステープを二人で回していたようなこどもたちは、ある週を境に、二人同時に、小児科へいくことがほとんどなくなった。
年ではなく、月でもなく、週だったことが忘れられない。
生命を生みだした限りは、それが奪われる危険につねにさらされる。
正確にいえば、親というものは、こどもに先立たれないことだけを望んで生きるものなのだ。
一人こどもを生んでそのことを知っても、親はまたこどもを望み、妊娠をし、出産をする。
人の営みは、得体の知れない、巨大でとてつもなく重いなにかに押し出されていくかのようだ。
自分の死よりも怖いものができること。
それが親になるということなのかも知れない。