羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

鶉句会時代

先日書いたように、同級生のグループで句会を始めた。

主宰以外は初心者なのだけれど、じつはわたしは以前戯れに、母を背負ったのではなくて、戯れの句会に参加していた。

 

宗匠もたんなる俳句ファン、メンバーはわたしも含む「宗匠」の仲間内と、わたしの実家の両親と母のともだちという、世代混合だった。

会場は品川のわたしの実家。

狭かったけれど、父が来客好きで、誰でもいつでもいらっしゃいだったから、自然とそうなった。

 

句会の前にあらかじめ「兼題」というものが出される。

いまの季節なら「初夏」や「青葉」「風薫る」など。

兼題は宿題のようなものだから、それでいくつか作って句会に臨むわけだ。

当日出されるのが「席題」。

宗匠はそれを考えてからくるからずるいなという感じ。

「席題」は自由、というときもある。

 

合わせてたとえば五句を短冊に書いて(名前は書かずに)締め切り時間に提出。

書記がシャッフルしてぜんぶ並べて清書し、人数分コピーを取ってくる。

誰がどの句を書いたのかはわからない状態で全員の句を全員で読み、秀句を三句選んで投票する。

集計して、票の多いものから「天」「地」「人」と順位をつける。

「天」に選ばれた場合は「天に抜ける」といって、まあ、MVPのようなもの。

宗匠からちょっとしたプレゼントがある。

 

かれこれ3年近く続けたと思う。

俳号もそれぞれにつけていた。

 

父は骨董のランプが好きだったので「アルガン・ランプ」というランプの名前から取って「有玩」。

母は浮き世を浮き草のように生きてきたからと「浮子(うきこ)」と名乗っていた。

「有玩」と「浮子」の娘は名前の音を読みかえて「郁子(むべ)」。

これだけ聞くと、ずいぶんと風流な親子だとおかしくなる。

 

句会の名前も、父が東京に出てきて食いつめた当時、鶉焼きの屋台を引いていたことに宗匠が俳味を感じてつけたものだった。

 

わたしも何度か「天」を取ったけれど、記録は持っていないし、すっかり忘れてしまった。

覚えているのは、冬に父が作った句一つだけ。

 

娘嫁し湯豆腐鍋の音を聞く    有玩

 

なにもわざわざそんなかわいそうな句を作らなくても、とわたしは笑ったものだ。