添削のたより
片づけの最終局面、昔の手紙に至る。
これはしばらく前に整理してあり、改めて見ても、大切なものしか残していない。
なかに、1998年の夏の終わり、俳人の西脇はま子さんが、わたしの二十句余りを添削してくださった一通もあった。
はま子さんは、鶉句会の後、両親が師事していた方。
わたしにも送るようにとおっしゃってくださり、いま思えばもったいないことだが、気後れするやら気が重いやら、ようやくのことで作ったものだった。
夏の句だと、
強羅へとあじさいの時遡る
に対し、はま子さんの添削は、
紫陽花の強羅へと時遡る
にはかなる姉と妹草の花
が
かりそめの姉と妹草の花
夏の砂吾子は幼き仁王なり
は
夏の砂浜幼き吾子の仁王立ち
夏服の友見返りし夢の駅
を
亡き友の夢にアオザイの羅(うす)ごろも
いただいた当時は、俳句というものは作りこむもの、自己演出が必要なのだな、と感じた。
17年前、感性の点でも未熟だった。
いまは多少なりとも成長し、はま子さんの感覚と技術とがともに磨きぬかれていることがわかる。
タイムリーにこういうものが見つかるところが、人の縁の妙味に違いない。
父が大切に額装して掛けていた、はま子さんの短冊は、
恋の猫真実一路の鈴つけて
両親の家にいらしたとき、母が飾っていた木彫の猫に寄せて、その場で作られたものだという。