羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

カウンターの内側

喫茶店やパーラーやレストラン、お寿司やさん。

わたしは、カウンターのなかの人に親しみを覚える。

 

いちばん最初のカウンターの記憶は、高輪のボウリング場だ。

レーンのフロアの一段上は、広いロビーになっていて、その一角にカウンターだけの喫茶店があった。

わたしが小学生のころはボウリングブームで、流行り物好きな両親や兄たちは週末ごとに通っていた。

わたしも当然連れていかれるが、待ち時間が長い。

父と兄たちはビリヤードにいき、母とわたしは売店をぶらぶらしたり、その喫茶店の高い椅子に座ったりして待った。

 

天井にはレーンをボールが走るごろごろいう音や、ピンが倒れるスカーン、と高い音がいくつも重なってこだましていたが、うるさくはなく、なにか爽快な、わくわくする感じがしていた。

 

バーテンダーは黒縁の眼鏡をかけて髪は横分け、白いシャツを着た男性だった。

ミルクセーキを初めて飲んだのもその店だ。

アイスクリームが溶けたような、甘くて優しく、おしゃれな味。

わたしにぴったりの飲み物だ、と思ったものだ。

バーテンダーが銀色のシェイカーで作ってくれるのも、なんだか大人っぽくてうれしかった。

 

それから数限りなく、カウンターのなかの人と出会ってきたわけだが、親しく感じる理由の一つは、自分も一時期カウンターの内側にいた経験があるからだと思う。

母が'90年から6年間、高円寺で「ポピンズ」という喫茶店を開いていたのだ。

こどもが生まれるまでの2年間、わたしは当時住んでいた荻窪から、ほとんど毎日出向いて手伝っていた。

 

ボックス席が一つだけ、あとはカウンター席が八つ。

12人で満員の小さな店だった。

コーヒーは、注文を受けてから一杯分ずつ豆を計って、挽いて、ペーパーフィルターでドリップする。

カップにも凝っていて、ちょっとした珈琲専門店だった。

そこで、いまだからいうけれど、見よう見まねでわたしも淹れて、一杯500円を頂いていたのだから、冷や汗ものだ。

 

お客さんはほとんど常連。

スナックのママ、焼き肉やのおかみさん、カラオケ会社の社長、歯医者さん、IT会社の若い子たち、映画監督、主婦、手芸家のマダム、銀行の支店長、銀行のOLなどだった。

 

母が開店前に修行にいった早稲田の喫茶店のマスターは、喫茶店というのは、お客さんと親戚づきあいができるところが楽しいといっていたそうだ。

「ポピンズ」もそんな雰囲気で、アルバイトの女性たちを含め、母は営業時間外にもよくいっしょに遊んでいた。

誘われて同じ端唄の師匠についたり、四国旅行をしたり、楽しい時代だっただろう。

 

わたしは雑誌連載などで忙しい時期でもあったが、店を手伝うのはあまり苦にならなかった。

結婚していて、こどもがまだなく、仕事があってその上に趣味みたいな手伝いもある、という、これもやはり楽しい時代だった。

 

カウンターの内側から喫茶店を知る。

それも母親の店というのは、第二の実家みたいなものだったから、お客さんにも家にきた人のような親しみを覚えていた。

 

いま、自分がお客になっていろいろなお店のカウンターに座るときには、その経験の投影が起こるように思う。

働いている人たちの時間と自分の時間とが交差するうれしさがあるのだ。

 

茶道に無理矢理持っていくなら、現代の「一期一会」。

提供する側と享受する側は、わたしにとってはダンスのようにくるくる交代するものだ。

お茶の稽古で、点前と客を両方するように。

 

お客さんになにか作って出すというのは、基本楽しい。

けれど、面倒なときもあり、たまにはいやな思いもして、でも、うれしいこともお客さんがくれる。

そうなんだよね、という気持ちが、またわたしをカウンターの客にするのだ。