羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

エバミルクの雲

カウンターの向こう側の人の思い出をもう一つ。

 

実家のマンションのすぐそばに「クイーン」という喫茶店があった。

わたしが中学の頃に60歳くらいだった夫婦の店だった。

マスターは、手塚治虫のキャラクターにいそうな、鼻が高く顔立ちの整った人。

いつ見ても、いま着たばかりのような真っ白なシャツ姿だった。

奥さんは、目がくりっとして髪はショートカット、華奢な体つき。

細みのパンツに白い小さいエプロンをきりっと締めていた。

二人ともに清潔で、動作に無駄がない。

 

周りは商店街で、職人さんも多かった。

常連は、暇そうに新聞を読んでいる商店の旦那衆と、仕事の合間か上がった後に打ち合わせしている職人さんたち。

わたしと両親も、週末には必ずいっていた。

 

コーヒーはネルドリップ

この淹れかたがいちばんおいしいのだと母はいった。

マスターは言葉少なに、銀色のポットで、挽いたコーヒーを入れた三角のネルの袋にお湯をじっくりと注ぐ。

湯気が立って、マスターの顔がふわあっと隠れ、現れるときは高い鼻からだった。

 

わたしはまだコーヒーは飲めなかったから、ミルクティを頼んだ。

コーヒーカップより背が低くて開いたカップに、澄んだ紅。

横に、小さな銀色の容れ物に入ったエバミルクが添えられていた。

 

そのエバミルクの色が、わたしは好きだった。

少し暗さのあるベージュ。

紅茶に入れると、一度沈んでから雲がわきあがるように広がってくる。

そのときにも淡いベージュだ。

スプーンで混ぜて、優しい色にする。

本格的な紅茶は渋くて、体調次第では少し気持ちがわるくなることもあった。

でも、エバミルクの色が見たくて頼んでしまう。

 

カウンターのなかでは、マスターがグラスを拭いている。

カップもグラスもすべてぴかぴか、つやつや。

奥さんがお客さんに応えて笑う声も聞こえる。

ベージュと白と琥珀色と銀色の店内に外光が入って明るさが増す。

コーヒーの香りに煙草の香りがゆるく絡んで流れていく。

 

そんなひとときが、いまにつながっている。

あそこにいたわたしが、いまはここにいて、また一杯のお茶を飲む。