お茶写真
そしてSNSには飽きもせず、お茶情景を撮影しては載せているのだけれど、あまりにおびただしいので、最近は遠慮がちだった。
すると友人たちから、わたしのお茶写真を見ると「ほっとする」という声が。
「自分も休んでいいんだと思える」といってくれる人もあった。
わたし自身は休みっぱなしで、どこを撮っても休みの金太郎飴なのだけれど、それが休みにくい人には安心感を与えるのだろうか。
去年の秋はそれが少し違っていた。
母が入院して手術をし、前後60日間、毎日病院へ通っていた。
院内にコーヒーショップがあり、そこでお茶を飲むことが、チェックボックスに印をつけるような行動だった。
心身ともに疲れて、コーヒーショップの景色が頼りだった。
毎日写真を撮って載せた。
母もだけれど、わたしも生きてるよ、とみんなに知らせたかった。
半年して思い出すと、かなり大変だったのだなあ、と他人事のように。
母もわたしも元気で夏を迎えられるにあたって、友人たちに心から感謝している。
いまの、どこから見てものんびりしているお茶写真のいいところとは。
客観的に見てみたら、なんだか、これを撮ったらすぐにも飲むぞという臨場感があった。
次の瞬間、カップの把手に自分の手が出ていくような感じ。
お茶とわたしとの一体感。
それが見た人が「ほっとする」の理由なのかも知れない。