羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

いかづち

けさがたの雷は、いまだかつて聴いたことのない音と響きをもっていた。

目が覚めてすぐは、なんの音かわからなかった。

大変なことが起きたのかも知れないと思い、怖くて外が見られなかった。

音の通りの大変なことなら、外を見たくらいではどうにもならないだろう、と覚悟の方向にいきかけた。

そのうち雨音もしてきたから雷と思って安心したけれど、雷鳴は特異で、これは完全にゼウスだな、と思った。

 

ディズニー映画の「ファンタジア」。

わたしは小学校2年生のときに劇場で観た。

すべての曲と映像に刮目したが、なかでもベートーヴェンの「田園」のオリンポスの情景には、魂をさらわれた。

 

エンゼル(と当時は発音していた。お菓子の影響か)たち、ペガサスやユニコーンの親子、湖から立ち上る虹、半人半馬のカップルたち、葡萄酒に酔いしれるバッカス、ヘーパイストスが鍛えたいかづちを雲の上から大地に投げ落とすゼウス、夕闇に月の弓を引くアルテミス...

 

家に帰ってからも、パンフレットの写真を眺めては何度も何度も思い出していた。

ビデオがなかったから記憶が頼りだ。

真似して絵を描いたりもして、オリンポスの世界にひたりこんだ。

 

3年生になると、叔母が渋谷の五島プラネタリウムに連れていってくれた。

星座の話が「ファンタジア」につながった。

またもや魂が憧れでる。

売店で野尻抱影という人の星座と神話にまつわる本を買い、繰り返し読んだ。

 

ゼウスの女好きにも困ったものだ、とこども心に思った。

白鳥に化けたり、雄牛に化けたり、美女のためなら金色の雨にさえ化けていた。

といって、ヘラにも同情はできなかった。

嫉妬深い女はいやなものだと感じた。

自分がなるなら、ヘラではなくて、ゼウスに追いかけられる美女やニンフになりたいものだとひそかに思った。

 

たった9歳だったのに、オリンポスの物語のおかげでずいぶんとませた男女観を持ってしまった。

いまでも、ゼウスのことはなんとなく憎めない。

雷もゼウスが落としていると思うのが好きだ。

 

けさはゼウスになにかあったのだろうか。

特別な雷鳴への恐怖は去り、どこか、カタルシスを感じていた。

 

次に目が覚めると快晴で、空気は洗われたようにすがすがしかった。

ゼウスのいかづちが、大地で砕け、粒子となって空気に溶け込んだかのようだった。