羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

51

こどもは外出するとき、いろいろなものを持っていきたがる。

 

息子の最初は、電車のおもちゃだった。

手に握り込めるような小さなものから始まって、だんだんに大きくなっていった。

プラレールの3両つながりのをひきずりそうにして持っていたこともある。

ついには長さ50センチ以上ある、大きなブリキの電車にまでなった。

それを持って電車に乗り込むのだ。

自分では最後まで持てず、わたしがリュックに差して担いで帰ってくるのがつねだった。

 

娘はケチャップを持って出たことがある。

2歳前だったと思う。

息子の幼稚園のお弁当に使って食卓に置いておいたら、それを持っていきたがった。

基本こどもたちの希望は斥けないわたしだから、いいわよ、と持たせた。

 

ベビーカーの上で、彼女はケチャップの蓋を開けてちょっとなめていた。

向こうからきた女性に「ケチャップなめてますよ」といわれ、わたしは「ええ、わかってます」と答えた。

女性は、顎を引いて「まあ」という表情をした。

いいではないか、娘がケチャップを持って出けたがったのはこの日だけだったのだから。

 

息子は2歳前のある日、靴べらを持って出かけた。

長いタイプのもので、彼にとっては剣の感じだったのだろうか。

行き先は荻窪駅で、また半日は電車を見たり乗ったりするのだ。

西荻窪寄りの小さいほうの改札への階段を、靴べらをかざした息子と上がっていると、年配の女性に声を掛けられた。

紬の着物に前掛けをしている。

細身の、見るからにさっぱりとした感じの人で、サザエさんの漫画から抜けでてきたようだった。

 

「かわいいわねえ。うちの息子もね、そんなの持っちゃ歩いてたんだけど、いまじゃもう51よ」

 

51!

身なりのいい紳士のイメージが浮かんだ。

と同時に、幸せな気持ちが胸にあふれ、言葉がとっさに出てこなかった。

 

女性は、そのあと二言三言話して、わたしたちに手を振り、駅ビルのほうに向かっていった。

育児で心身がつらいとき、わたしは何度も彼女のことを思い出した。

彼女は神の遣いだったのではないかと、いまも思う。

育児の神の遣い、いやもしかしたら、育児の女神自身だったかも知れない。

 

「その息子がね、いまじゃもう51よ」

そのときがきたら、わたしもいってみたい。