羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

アパートの窓

ホームタウンのお祭り。

もう7年ぶりくらいになるだろうか。

ふっと気持ちがほどけて訪ねることができた。

 

二つの神社にお参りし、町のなかで住んだところを三か所とも回った。

13歳から27歳まで住んでいたマンションは、外壁の色は変わっていたものの立派に立っていた。

9歳から13歳の夏まで住んでいた借家は、路地の曲がり角の家が見つからず、そのあたりはどこも、もう家と家の間の私有地のようになっていて、奥に入ってもいけなかった。

たぶん、借家はなくなったのだろう。

 

その前に住んでいたところ。

この町に越してきた5歳前の夏から、9歳の冬まで住んでいたアパートは、あった。

7年前に見にいったときは、建物はあったが、なかは材木置き場のようになっていたのだが、今回は1階に人が住んでいるようだった。

 

わたしが両親といた2階の角部屋の窓は、そのままだった。

窓の外にある手摺もそのまま。

あのころは、窓を開けて敷居におしりを置いて座り、手摺の間から足を下ろして景色を眺めていたものだ。

 

窓の下に立つと、そのときのわたしがそこに見えるようだった。

そんなとこに座ってるとパンツ見えるよ、といってやりたくなった。

 

1階の玄関の戸の前で撮った写真も覚えている。

小学校に上がる前に、ランドセルをしょってポーズしているものだ。

目はななめ上を見ていて、いかにも希望に向かっていくかのよう。

カメラのこちら側の両親のうれしさも伝わってくる。

 

戸にアパートの名前を書いたテープが貼ってあった。

わたしが住んでいたときと変わっている。

家主も変わったのだろう。

 

このアパートは六畳間で、前に住んでいた四畳半と比べると広かった。

越してきた当初は入り口の近くに卓袱台を置いて三人で食事をしていたらしい。

遊びにきた人が、奥があんなに空いているのだからもっと中に入りなよ、といったとか。

 

こんなところにいたのだから、といったら語弊があるが、ここよりさらに狭いところから人生が始まったのだから、住まいのことで困ることはないな、と改めて思った。

トイレと、なんとお風呂までうちのなかにあるなんて、当時のわたしには夢のようだった。

物心というのはたいしたもので、いまだにわたしはそう思っている。

ワンルームだってお城なのだ。

 

写真を撮って、アパートを後にした。

ここからきたんだもの、持ち物は身一つしかない。

そう思って、愉快に坂を上っていった。