羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

テキストの時代

携帯電話とインターネットの普及は、いまだかつてないテキストの時代をつくっている。

つまり、メールやSNSTwitterやブログなどで、20年前とは比べ物にならない量の文章や言葉が、世界をゆきかっている。

個人のレベルでいうと、いま大人の世代なら、20年前にはまったく想像できなかったほど、たくさんの文章や言葉を書いているだろう。

 

息子や娘の世代ならば、そのようにテキストをやりとりするのは、わたしたちの世代の電話よりも気軽で普通のこと。

「ママはね、中学の同級生と交換日記をしていて、高校に上がっても続け、ついにノート50冊までいったのよ」

なんて話は、彼らにとっては昭和の伝説みたいなものか。

 

自分が文章を書くことが好きだから、文章を書くことを苦手に思う人が少なくなることは素直にうれしい。

日常的に書く機会が増えれば、文章と自分との距離が縮まり、自分なりのスタイルができてくる。

 

初めは模倣や流行のなぞりでも、量を書いていくことで質は必ず上がる。

質というのは上手下手ではなく、その人ならではの品格を持つようになるという意味だ。

 

あと10年くらいして、孫の世代が始まったとき、日本の文章全体が洗練されていることを、わたしは夢見ている。