羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

型破り

娘は3月生まれ。

3歳と1か月で幼稚園に入った。

幼稚園までは歩いて15分くらいかかる。

歩いて登園したのは初日だけだった。

ほんの1か月前まで、息子の幼稚園の送り迎えにベビーカーでつきあっていた彼女。

自分がいくときにもベビーカーでいく、と宣言した。

 

娘が幼稚園にいる間は、わたしにとっては、息子が生まれたときから数えて7年めに、ようやく、ようやくできた自由時間である。

たったの2時間でも、まるで砂金の砂時計で計るように貴重だった。

娘にはなんとしても幼稚園にいってもらわなくてはならない。

わたしはベビーカー宣言をあっさりと受け入れた。

 

さすがに幼稚園の前までは乗りつけられない。

大学通りの曲がり角までいったら娘を降ろし、たたんで大学の前の自転車の群れのなかに隠した。

そして道を曲がり、さも家から歩いてきたかのように登園するのだった。

 

幼稚園の先生方にはばれなかったものの、他のおかあさんたちには次第に知られてしまった。

2学期だったろうか、あるおかあさんに「Cちゃんママは型破りですねえ」といわれるに至る。

 

「悪い意味」ではないというのは、彼女の語調に現れていた。

「人目を気にしない」「おおらか」「自信がある」「発想が自由」などの意味が含まれているのであろうと、いいほうに解釈した。

 

わたしとしては、自転車の後ろに乗せるのもベビーカーも「歩かせない」ということでは同じだと思っていた。

わたしはこう見えても自転車には乗れるが、こどもを後ろに乗せるには危険すぎるふらふら運転。

歩きたくない娘を運ぶにはベビーカーしかないのだ。

先生方の手前、いちおう隠すけれど、恥ずかしいとは思っていなかった。

結果、型破りということに。

 

娘自身は、年中組に上がったときに、もうベビーカーには乗れないと思ったらしい。

後輩ができたからだろう。

それでも、歩きとおすのは無理、だからおんぶ、ということになった。

マンションは玄関を出ると一段あって廊下に出る。

娘はその段差の上から、先に廊下に立ったわたしにおぶさるのだ。

そのまま幼稚園の手前の、大学通りに信号あたりまでいく。

そして誰かともだちがくると、するするするっと下りる。

こないときにも、そのへんで下りておく。

娘のほうがわたしよりずっと人目を気にするタイプなのだ。

 

年中組はおんぶで通し、彼女が歩いて登園したのは、年長組の1年だけだった。

息子時代と合わせて6年間の幼稚園生活で、わたしが身軽に登園できたのは最後の1年だけだったということだ。

あー、返す返すも、大変だった。