元気すぎる印
元気についての話をしよう。
暗いエピソードになってしまって恐縮だが、わたしは7歳と10歳と13歳のそれぞれの夏、拒食症になった。
ふっくらしてくると痩せ、また年相応になってくると痩せることを繰り返し、すっかり痩せ型になった。
18歳くらいまでは、食欲がないのがベースで、おなかが空いたとか、食べたい、とか心から思ったことがない。
ほとんどの時間を気分の悪さと戦っていた。
大学に入ったころからようやく、外食で一人前が食べきれるようになった。
とはいえ、若さと体力を実感したことは一度もない。
精神力だけで生きていたように思う。
育児期はもちろん、前述のように毎日へとへとだった。
つまり、わたしには、あのころは若くて元気で力が漲っていた、と思い返す時期がない。
そのことには大きなメリットがある。
こどもたちの手が離れて以来、年々体が楽になり、どんどん元気になっているように感じられるのだ。
腕も脚も、いまがいちばん筋肉がついているし、姿勢もいまがいちばんすっきりしている。
もちろん、経年変化はあるわけだけれど、それよりも「わたしは元気になってきている」という喜びのほうが勝る。
天ぷらやトンカツなんて、10代20代のころは脂っこくてとても食べられなかったが、いまは平気で専門店にいける。
会う人ごとに「元気ね」「元気だね」といわれるのもしかたないことだろう。
少々の疲れは、本体の元気さがかき消してしまうのだ。
先日は、ついにある人から「元気すぎる」といわれた。
なにかが度を越したのかも知れない。
それでもわたしは、普通にしていても気持ちがわるくない、ということがうれしい。
お風呂に入るとのびのびして気持ちがいい、ということも楽しんでいる。
頬紅をつけて口紅を引いて微笑むと、鏡のなかで自分が「よかったね!」といっている。