羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

言葉の夢

認知症になった母の介護を、2011年の春から通いで1年半、12年12月からは同居して約2年続けた。

昨秋、痙攣発作を起こし、緊急入院から手術、術後の療養、リハビリテーションのための転院を経て、この春に老健施設へ入所。

現在81歳。

 

いまの状況を見る限りでは、母といっしょに暮らすことはもうないだろう。

わたしの介護生活は終わったのだ。

最初の物忘れ外来の受診から丸4年間。

改めて時間の長さを感じている。

 

老健施設に見舞いにいくと、母は車椅子に座って食堂にいる。

わたしを見ると、よく知っている人がきた、という表情で、うれしそうにする。

持っていった花がきれいだと喜び、わたしがその場で撮った写真も、まあよく撮れたわねえという。

ただ、会話になると意味を成さない。

 

わたしがときおり、眠る前に聞く言葉の夢のようだ。

きれぎれに、誰かの声がする。

その言葉を頭のなかで繰り返すことはできるが、意味はわからない。

 

そんな母の話を聞きつづけるのは、とても苦しい。

恐怖も覚える。

早くここを去りたいと思う。

でも、次のバスまでの時間では短い。

職員さんに、きてすぐ帰ったと思われるだろう。

もう1本後のバスまでいなければ。

 

わからない話に笑顔で応じながら、そんなことを考えている。

時間がきて、またくるわね、というと、母は、ああ、そう、気をつけて、という。

職員さんにエレベーターの扉の鍵を解除してもらって乗り込む。

 

扉が閉まったとき、力が抜けて、1階のボタンを押すのを忘れてしばらく立ち尽くしていた。