解題
母の見舞いに花を持っていった。
薔薇、カーネーション、ダリア、鶏頭、赤を基調にした小さなアレンジメントだ。
母は声を上げて喜んでくれたが、花の名前はもう覚えていない。
母はわたしの名前も思い出せない。
母がわたしに名前で呼びかけてくることはもうない。
続柄も忘れている。
母にとって、わたしは、名はなく、娘でもなく、ただ、とてもよく知っている人。
会えばうれしい人。
薔薇やカーネーションやダリアや鶏頭とわたしは、いってみれば同じだ。
名前がなく、そこにいて、母を喜ばせる。
外の世界では、花とわたしは決然として違うものだけれど、母の隣にいるときは、花もわたしも変わらない。
名前が、人と事物とを区別し、人と人とを区別する。
名前がなくなり、そのものの意味もなくなっていったら。
それでも、わたしは存在するだろう。
それでも、わたしは価値を失うことはない。
薔薇が、誰の前にも咲くように、相手がわたしを認めるか認めないかに関わらず、わたしはそこにいる。
母といて名のなき夏の花となる 郁子