羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

また会える

愛用MacBookをこどもたちのところに置いてきてしまって、iPhoneでチコチコ。


昨夜ある人のことを思い出していた。

編集者としては鬼才。

新コーナー、新連載、新企画、新雑誌、新プロジェクト…

新聞社の出版局で、およそ新しいものを次々に繰り出していった人だった。


わたしは15歳のときに、投書がきっかけで彼と知り合い、大学に入ってすぐ新企画の学生スタッフに組み込まれた。

しかし、彼の求めるようなネタ探しには適性がなく、タダ飯食いのそしりを受けて、他の部員の資料集めにトレードされた。

その人との仕事のほうが合っていて、アルバイト代付きで修業させてもらうことになる。


その後、鬼才の彼とは、ある行き違いから絶交状態になってしまった。

文章のセンスを最初に認めてくれた人と、話もできなくなってしまったことは悲しかった。


人と人とは、いつまでも仲よくしていることはできないのかも知れない。

行き違いの意味が、それぞれにとって違えば、修復が難しいこともあるだろう。

それでもわたしは、いつかはまた結び直せると思いたい。


彼と、彼の旧友と三人でバーにいったことがあった。

旧友は彼の知らないところで変化していて、会話は噛み合わなくなっていた。

次に会ったとき、彼はわたしに、退屈だったろう、と詫びた。

わたしは、ぜんぜん、と答えた。

どんな場所でも、誰といっしょでも、感じることも考えることもあるから、退屈はしない、と。

彼は、いい考えかただ、と褒めてくれた。


わたしはそのときのことを思い出しては、彼とまた会える日を待っていたが、数年前に、亡くなったことを知った。


会える日は少し遠くなった。

いま、彼のほうからはわたしが見えているのだろう。

行き違いのことは、もう許してくれているだろうか。