first contact
育児をしていて、感激することは山ほどあるけれど、なかでもベスト1がふたつ。
息子が生まれて4か月経ったころだったろうか。
日付はメモしていなかったが、夏の盛りだったはず。
ベビーベッドの手前の柵を下ろして寝かせ、おむつを替えてベビー服を整えた。
そのまま、息子の顔に自分の顔を近づけて、話しかける。
すると息子は手を伸ばしてきて、わたしの頬に触れた。
初めて、自分の意志で手を動かし、わたしの顔に触ったのだ。
たとえはよくないのかも知れないが、E.T.に触られたくらい、心が震えた。
小さな指の先からてのひらの柔らかさ。
奇跡のように思えた。
ふたつめは、娘が2歳、息子が6歳のころ。
ベビーカーを押してマンションの裏に帰ってきた。
息子にハンドルをちょっと持っていてもらって、わたしは裏口のオートロックを操作した。
背中に聞こえたのは二人の会話。
娘がなにかいい、息子が答えて、また娘がなにかいった。
その内容もメモしていないのだけれど、とにかく、会話が成立していたのだ。
わたしを介さず、二人が二人だけで話している、その驚き。
娘は息子より、話しはじめるのが遅かった。
おそらく、いいまちがいをしたくなくて、自信を持って正しくいえるまで言葉をためていたのだろう。
いざ話しだしたら、兄と会話も可能。
わたしと息子はいつも彼女に驚かされたものだが、このときは、息子は自然だった。
いまでも、二人が会話しているのを離れたところで聞いていると、きょうだいの世界があることがほほえましく、またうらやましく感じる。
この初めての会話の少し後に、二人に話したことがある。
「いいなあ、きょうだいで話したり遊んだりできて。ママは一人っ子だから、おともだちが帰っちゃうとさみしかったんだ」
息子はいった。
「いいじゃないママ、いまぼくたちと遊べば。いまみんなで遊ぼうよ」
娘も真面目な顔でうなづいていた。
こどもを親が世話をしているというのは、見かけだけのことだ。
実際は、親がこどもに助けてもらったり、支えてもらったりしている。
こどもたちが生まれた日から、ずっとそうなのだ。