合掌
父に対して、とても複雑な思いを抱いてきた。
小さいころは、お父さん子も極まっていて、アパートに帰ってくる足音を聞き分けていたらしい。
帰ってきた父が、やれやれと胡座をかくと、即、その肩によじのぼり、ずっと肩車。
そのうち足の先が父の膝につくようになってしまい、肩車の空中感がなくなってつまらなくなったからか(よく覚えていない)よじのぼるのはやめた。
その後は、胡座の膝にしなだれかかり。
眠くなったらそのまま寝ていた。
靴下も父に履かせてもらうほうがいいといっていたそうだ。
母だと急いで乱暴にひっぱるが、父はそろそろゆっくり履かせてくれてどこも痛くない。
父が亡くなって8年が経とうとしている。
葛藤には終わりがなく、父からもたらされた絶望から解放されることもなかった。
父に感謝などしたくないし、できるはずもない。
そう思っていた。
でも、もしかすると、ここなのかも知れない、と、きょう思った。
わたしを縛っているのは、このこだわりなのかも知れない。
形から、と手を合わせた。
おとうさん、ありがとう。
その苦しさ、抵抗感。
数年前にはやったドラマの土下座シーンのようだった。
それでも、もう一度手を合わせなおした。
そのときに、誰かが後ろからわたしを抱いて、わたしの合掌に両方から手を添えて包んでくれているのを感じた。
小さい子に手を合わせることを教える大人のように。
しばらくして、わたしは手を下ろしていた。
体の半分に風が通っているようだった。
わたしの遺伝子の半分は父からきたもの。
もつれがほどけていくような感覚だった。