羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

一皿の縁起

先週、かつてのクラスメイトと新宿のガレットの店で食事をした。

ガレットというのは、フランスのブルターニュ地方で作られる蕎麦粉のクレープ。

ホットケーキ、パンケーキ、ワッフルのようなものが好きなわたしの、比較的新しいレパートリーだ。

 

なぜきょうこのお店を選んだかをクラスメイトに説明していたら、ずいぶんな昔まで遡った。

前にも別のクラスメイトときたことがあるが、地元のいきつけだったイタリアンの店長さんがここの表参道店に転職し、より親しみを覚えるようになったから。

 

地元のイタリアンを贔屓にしたのは、高田馬場にある本店によくいっていたのが、なぜかわたしの住む街にいきなり支店を出して自分が呼んだんじゃないかとうれしかったから。

 

高田馬場の本店には息子がおなかにいるときに、落合の病院まで検診にいくたび食べにいっていた。

臨月でおなかが流線型になっても構わず通ったものだ。

そのお店を知ったのは、はるか以前。

母はわたしの中学の保護者会で仲よくなったおかあさん方と食事会をしていたが、その第1回がその店だった。

 

そして、ついてきてくれているだろうか、ガレットの店にいっしょにいったのは、中学からのクラスメイトとだった。

人生の五分の四を貫く物語がここで円環する。

一皿のガレットも、縁起に縁取られているわけだ。

 

人生にいきあたりばったりはないのではないかと思う。

と同時に、なにを選んでも、どこにいってなにを食べても、どんなことを経験しても、自由だとも思う。

 

ガレットはおいしく、クラスメイトと和やかな時間を過ごせた。

わたしたちは、どんなときも、大きな幸せのロンドから外れることはないのだ。