羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

鶉の卵

友人と会ってこどもたちの話をしていたとき、父方の祖父母、母方の祖父母、四人ともと触れあったことがあるなら、それは、肉親の縁によく恵まれたということではないか、と気づいた。


わたしのこどもたちは四人とも知っている。

大学生の現在も、祖母二人は存命だ。

それに対して、わたしは母方の祖父しか知らない。

祖母二人は30代で亡くなっている。

父方の祖父は、父が末っ子だったこと、わたしも父の40歳のときのこどもであることから、78歳まで生きたが、わたしは亡くなったとき2歳で記憶がない。


父から聞いた祖父のエピソードは三つだけ。

達筆を見込まれて村の鎮守の幟をタワシで書いた。

愛知県で初めて自転車に乗った(当時はまだタイヤがなく、車輪は木だった)。

豊橋市内に鶉の養殖を広めた(穀物商だったから、それで需要の創出をした)。


神社の幟を見てこれらを思い出したきょう、地元のスーパーマーケットで、初めて鶉の卵を買ってみた。

パッケージの生産地を見ると、はたして愛知県豊橋市

知ってはいても実際目にすると驚きがあった。


明日は茹でてこどもたちと食べようと思う。