ゼリーのつくりかた
抽象的なことをよく考えている。
言葉を遣う上で、もっとも面白いのが、抽象的なことをどこまで伝えられるかというチャレンジだ。
自分のなかで、その抽象的なことが、確かに形になっていることが大前提だ。
たとえていうと、ゼリーを作っているときのような感じ。
ジュースにふやかしたゼラチンを混ぜてゼリー液を作って、型に流し込んで、冷蔵庫に入れて、固まったら型を逆さまにしてお皿に出す。
そのときに、ジュースの色がきれいに出ていて透明感があり、型のへこみがカーブになって表面がつやつやしているように。
お皿を動かすとふるふるするけれど、ゼリーは溶けずに、形を保っている。
そういう状態の抽象的な考えを、濁らせることなく、崩すことなく、匂いや味を損なうことなく、言葉に表して、聞く人、読む人の内側に、オリジナルにできるだけ近いゼリーダッシュを出現させる。
会話でなら、どのくらい近いゼリーを伝えられたかが、だいたいわかるのがうれしい。
文章だと確かめるすべはないが、言葉を尽くしていく過程に、わたし自身がここにこうしていることのリアリティを感じてもらえたら本望だ。
言葉にはなまじ意味があるからもどかしい、と感じることがある。
言葉には意味があるから、絵の具のようには塗れない。
楽器のようには奏でられない。
どうにもこうにも心のなかでふるふるしているこのゼリーを、このまま見せられたらいいのに。
もどかしくもせつない涙を唇の端に受けとめて、そのしょっぱさを頼りに、また言葉を探すのだ。
意味のある言葉だけが、わたしの使える絵の具であり、わたしのはじける弦だから。