前世
夢夢した乙女話と思って読んで欲しいのだけど。
前世なんてものを考えていたことがある。
修道士や修道院になぜだかとても惹かれていたからだ。
最初は、息子がおなかにいたとき。
カトリック系の病院の産科に検診に通っていた。
すでに秋も深かったと思う。
玄関を入ってすぐの新患受付に、すらっとした、異装の男性がいた。
どきっとして、よく見ると、フードのついた麻の修道服に縄のベルト。
静かな佇まいで、書類に記入している。
素敵。
どきっ、は、どきどき、に変わって、わたしは後ろをそーっと通って外来に向かった。
数年後、ビデオで「ブラザーサン・シスタームーン」を見たとき、その修道服が聖フランチェスコ会のものであることを知った。
さらに数年後「薔薇の名前」を同じくビデオで見て、ショーン・コネリーの聖フランチェスコ会修道士姿にまた衝撃を受ける。
「天使にラブソングを」の神父や修道士たちも聖フランチェスコ会。
もうこれは引き寄せているとしか思えない。
アッシジの写真を見ると懐かしかった。
わたしもきっとここにいたんだわ、と確信するほどだった。
とくに、修道院の窓や扉の写真がとても好きだった。
現世のわたしは、ストイックな生活はとても無理な怠け者なのだが、前世では喜びとともに修道院生活を送っていたような気がする。
「薔薇の名前」にも出てくるような、聖書を写本する仕事をしていたのではないかとも思った。
カリグラフィーは習うほど好きだったし、古い手書き文字を見るとうっとりする。
2年ほど前に「神と男たち」をDVDで見た。
修道士の映画だからという不純な動機だったのだが、信仰について、戦争について、自分と他者の命について、底の底まで考えることになった。
痛切で、もう一度は見られない。
しかし、そんななかでも、修道士が着ていた手編みでフードつきの黒のベストが忘れられず、いつか作ってみたいなどと考えている。
修道院では編み物も担当していたのだろうか。
現世でもよくしているものの一つだ。
シスターの服にはまったく憧れないというのも我ながらおかしい。
修道士に恋をした村の娘だったのかも知れない。
石造りの橋の上ですれ違うときにしぬほどどきどきしていたのではないかと思う。