職人さんはゆっくり歩く 2 大工さんのまなざし
「息子のまなざし」というフランス・スイス映画の主人公は大工さんで、目で見ただけでそこの長さをぴったり計るという技能を持っている。
目分量というのは調味料の場合だと「適当」のいいかえだったりするが、こんな大工さんなら目分量がジャストなのだから、すばらしい。
わたしが品川で知っていた大工さんも、この主人公に通じるものを持っていた。
父は家のなかをいじるのが好きだった。
和室の窓の下に戸棚を作り付けにして、その上に骨董のランプを飾りたいなどといっては、内装屋さんが主な仕事になっている畳屋さんを呼ぶ。
畳屋さんと組んでいるのがこの大工さんで、彼がまたしばらく家に入ること
になる。
大工さんはもの静かで、いつもじっとなにかを考えている様子だった。
笑顔は優しくてしみ通るようで、口より先に目で話しだす感じ。
目だけで済んでしまうこともあった。
家といってもマンションだから、和室で作業しているときには家じゅうが工事のようになる。
リビングルームに材木が何本も置かれ、わたしは学校から帰ってくると、それを避けて部屋に入らなければならない。
大工さんは、優しいまなざしで「お帰りなさい」といって、材木を手早く動かしてくれた。
母は大工さんの身の上を聞いていた。
妹と養護施設で育ち、中学を出てから工務店で住み込みで働いた。
妹が中学を出て養護施設を出ると引き取っていっしょに暮らし、高校に通わせた。
自分も定時制高校に通って卒業した。
苦労した上に妹思いで勉強熱心だった、ということで母は大工さんにすっかりシンパシーを寄せていた。
三時のときにわたしも家にいると、リビングルームで大工さんと内装屋さんの若い子と母とでお茶を飲んだ。
とくになにを話したというわけでもないのだけれど、心の温まる時間だった。
わたしに優しくしてくれるのは、妹さんを思い出しているのだろうな、と思っていた。
妹さんや妹さんのこどもたちのことを話すときにとてもうれしそうだったから。
まなざしは優しいだけでなく知性的で、瞳の奥が深かった。
いつか、家の近くの横断歩道を渡ったら、止まっている車が大工さんのハイエースだった。
彼は窓から腕と顔を出して、いつものまなざしで、にっこり笑った。
わたしも手を振って、にこにこして渡っていった。
「見ればわかる」という人がいる。
正直にいえば、わたしもある種「見ればわかる」タイプの人間だと思う。
もちろん、わかりかたは自分のレベルでしかないのだけれど。
大工さんを始めとして、職人さんは観察する人たちである。
見て、手を入れて、また見て、手を入れる、を繰り返す。
そうするうちに、見ることのなかに自分が入りこむ。
長さをいい当てられるのは、そこで自分が実際に「計って」いるからだ。
まなざしがその人自身なのだ。
それを知って見返す者がいたら、相互の理解が生まれる。
わたしは高校生から大学生のあいだ、幼い形ではあったけれど、大工さんと理解しあえたと思う。
苦労しても、悩むことがあっても、彼のように、微笑んで人を見つめられる人でありたい。