微笑みの色
大学生のときに参加していたミニコミ誌に書いたエッセイの一つに、口紅の話があった。
デパートの化粧品売り場へ、新色の口紅を見にいった。
ウインドウに近づくと、自分の顔が映った。
唇を微笑みの形にして、そこを離れた。
昔のわたしは慎みふかかったものだ。
口紅の新しい色より、微笑みのほうに価値があることを知っていた。
こどもたちが二人とも小学生になったころから、わたしはメイクに凝りはじめた。
それまでの10年間は、育児という大仕事でいっぱいいっぱいで、自分の女性らしさを顧みることがなかった。
下の子が生まれてしばらくして、疲れて落ち込んでしまい、産科の医師に相談したら、もっと綺麗な服を着て、お洒落を楽しんでごらんなさいと助言された。
そのとき着ていたのはトレーナー。
好きだったDCブランドのもので、お洒落をしていないつもりはなかったのだけれど、先生から見たらくたびれた感じだったのだろう。
それでも、育児のただなかでは、お洒落も、メイクもしている余裕はないし、こどもたちと肌で接しているから、ファンデーションや口紅が口に入ってはいけない、などと気にしてもいたのだ。
そこから一気にメイクマニアに。
13年前のことだ。
持てる情熱のすべてをかけて、といってもいいほど、メイクとスキンケアに打ち込んだ。
自分のなかの「女性」が彷徨していたともいえる。
「男性」との関係において、もっと掘り下げると「父親」との関係において、自分の価値がわからなくなっていた。
そういう影の部分はともかくとして、メイクやスキンケアは理屈ぬきに楽しくもあった。
年齢はかさんでいくが、綺麗になるということにタイムリミットはない。
手を掛ければ掛けただけ「清潔」という意味でも綺麗になれるものだ。
なかでも焦点は、やはり口紅だった。
肌と唇が互いに映えて、生命感のある色を求めた。
できれば淡いピンクか透明感のあるローズで、女性らしいかわいらしさを加えたかった。
しかし、決め手だけに難しい。
口紅は回転の早いものでもあるから、イメージ通りの色を探そうにも目まぐるしい。
やっきにならず、いつも少し似合わない色をつけてそのこと自体を楽しもうかとも思った。
その矢先。
「DREAM」という名前の口紅を知った。
コーラル系のベージュで艶がある。
美容部員さんの見立てがうまく、肌色との明度の差が望み通りだった。
自分がずっとピンクで表したかったものが、ベージュで表現できている。
そして、なによりも、微笑みに似合っていた。
少しして、チークも彼女に頼んで厳密に選んでもらった。
これもベージュで、ただ、なかに澄んだローズが忍ばせてあるのだとか。
「DREAM」と優しく調和する。
これ以上もう、なにも足さなくてもいい。
そう思える。
13年間、自分に見つけたかったのは、この表情だ。
飾らなくていい、際立たなくてもいい。
ただ、心を映して微笑んでいたい。