羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

母のケース

母が認知症状を呈してから、1年半は通って援助をし、その後の2年弱は同居して介護した。

病状の変化による入院という形で離れてから1年2か月。

この春からは老健施設に世話になっている。

 

経過をすべて書ききることはここではできないが、発症から4年半過ぎて、老健施設の医師に聞かされたのは、母はアルツハイマー認知症ではなかった、ということだった。

脳血管の動脈と静脈がある部位で直接に繋がってしまったことによる脳の異変が、認知症状を起こしていたのである。

初診から3年半、その病変は見逃され、アルツハイマー認知症として経過観察されてきた。

薬もアルツハイマー認知症の進行を遅らせるというものをずっと服用していた。

 

なぜ発見されなかったのか、もっと早くに手術を受けていれば認知症状は軽減したのではないか、手術も軽く済んだのではないか。

 

病院や医師に聞いてみたいことはたくさんある。

説明してもらいたいことも山ほどだ。

しかし、当たり前すぎることだが、時間は巻き戻せない。

母のケースは、このような経過だった、としか、結論づけられないのだ。

 

認知症状らしいものが表れても「認知症」とは限らない。

母のことで他の人にも知ってもらいたいのは、その一点である。

 

メンタルクリニックを受診している時期に、わたしが、母の状態なりの進歩を願う意味のことをいうと、医師たちはいった。

認知症は治ることはありません。進行を遅らせることは可能ですが」

 

悔しさも空しさも、これまでの患者や家族が感じてきたものだけで十分だ。

明るい光が差し込んで、改善が進むことを、心から祈っている。