一人称
大学2年のときに、学生ミニコミ誌の創刊に関わり、そこでエッセイを書くようになった。
当時は落語が好きで、お祭りも浴衣も好き、趣味は手拭の収集、だった。
ペンネームは高杉晋作の恋人の芸者の名前、連載のタイトルも歌舞伎の外題をもじったりして遊んでいた。
それはたんに思い出なのだけれども、いまに続いているのは、自分が文章を書くときの一人称の問題だ。
あのころは、発音している通りに書きたいという気持ちがあった。
ふだん話すときには自分のことを「あたし」というから、書くときも「あたし」。
つれて文体もお転婆風になる。
しかし、それではだんだんに、内容が狭まってくる。
「あたし」では書けない自分の考えもある。
次に使おうとしたのは「私」だった。
これは音が「わたくし」だというところがなじまない。
いちいち「わたくしは」と発していると堅苦しくなる。
それで「わたし」に落ち着いた。
実際には発音しないが、心のなかでの自称には遣っている。
ニュートラルで、文体を選ばない。
ひらがなの多い字配りにもちょうどよい。
わたしは、漢字でなければ意味が通じにくいというところだけに漢字を遣いたいほうだ。
もしも男性ならば(あるいは小説を書いて男性に自称させるなら)「ぼく」と書くだろう。
「僕」を覚える前の小学生の作文のようになってしまうかも知れないが。
一人称のバリエーションがたくさんあるというのは日本語の特徴の一つだ。
心が自ら語りだすときに、自分をなんと呼ぶか。
そう問うて一人称を選ぶと、自分の目のまっすぐ前で文章が書けるように思う。
文章を書くのはむずかしいと思うことがあったら、一人称について、一度考えてみて欲しい。
この一人称はわたしだ、と心から感じられたら、それから書く文章は自分自身の声になるだろう。