たずね人
イタコにも呼べない人がいる。
原宿駅を竹下口に出て、信号を渡ってそのまま左へ、中学校に続く道が分かれるところの少し手前にあった喫茶店ノワール。
そこのマスター、さいとうさん。
彼はかつて銀座の清月堂ライクスという喫茶店のバーテンダーだった。
池波正太郎さんのお気に入りで、小説雑誌のグラビア連載にも紹介されたことがある。
両親とわたしは銀座では必ず清月堂に寄っていたから、あの人がさいとうさんね、と現地で確認したものだ。
その彼をいつからか見かけなくなった。
さいとうさんは辞めてしまったのか、どこにいったのだろうね、と清月堂にいくたびに話しあった。
いっぽう、原宿の駅前にある画廊では、家族で親しくしている画家が毎年個展を開いていた。
見にいったあとは、もちろんお茶を飲む。
竹下通りに入ると大変なので、その年はなんとなく、千駄ヶ谷の方向へ三人で歩きだした。
NOIRという看板を見つけ、いい感じだね、おいしいんじゃないの、と入ってはっとした。
清月堂のさいとうさんがカウンターの中にいたのだ。
母が思わず、さいとうさんでしょ、と聞いた。
答えは、もちろん「はい」。
清月堂の話をすると、僕のこと覚えていてくださったんですか、と照れた様子。
覚えているもなにも、わたしたちしょっちゅういってたのよ、ねえ、と母がわたしと父を引き込んでいう。
小柄で、銀座ではいつも引き締まった表情だった彼。
はにかんで笑うのを初めて見た。
コーヒーも紅茶も、清月堂の味をさらに磨いた、奥行きのあるものだった。
トーストに添えられたソーセージと自家製のピクルスがまたおいしかった。
原宿や千駄ヶ谷に用事のあるときにはわたし一人でもノワールに寄るようになり、たしか息子も一度連れていったと思う。
だから1993年まではノワールはあったのだ。
それがあるとき、とつぜんに店の名前も人も変わっていた。
その衝撃。
さいとうさんはどこへいったの。
一度再会した人と別れてしまうほど悲しいことはない。
母が横浜あたりじゃないかという噂を聞いてきたことがある。
横浜で新しいお店をまたやっているらしい、と。
横浜といっても広い。
だからイタコもたずね人。
さいとうさん、いまはどこ。