羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

my home town

品川で生まれて、中学高校は麹町で、アルバイトは東銀座。

大学は西荻窪だから中央線に縁はできたものの、帰りは毎日アルバイトだったし、吉祥寺や新宿で遊ぶこともあまりなかった。

結婚して荻窪に住んだのは、丸ノ内線に乗れば銀座に出られて仕事にも便利だったから。

いっときは中野から東西線で九段下の編集プロダクションにも通った。

 

荻窪で8年暮らして、息子が2歳になったころ、荻窪では道路が危なくて気が休まる暇がなくなった。

男の子は、あぶない、といおうと、待って、と叫ぼうと走っていくものだ。

 

ただ彼は、電車が無類に好きだった。

毎朝起きると、なんとかちぇんにのりたい、という。

なんとか線、の意味だ。

わたしはリュックに紙おむつと電車のおもちゃをつめこみ、彼となんとか線に乗りにいく。

東京じゅうの地下鉄に乗った。

夕暮れ時まで乗り換え乗り換えしてあちこち回る。

そのほうが地元で危ない道を歩くよりずっとよかった。

 

それでもやはり、荻窪にいれば、駅前の商店街にもトラックがどんどん入ってくる。

手をつないでいてもひやひやすることの連続だった。

 

ある日思い立って、わたしは息子と荻窪から中央線で一駅ずつ西へ向かった。

着いたら駅前に出て、街の様子を見る。

少し歩いたり、お茶を飲んだりして、住めるかどうか検討してみる。

それでまた電車に乗り、次の駅へ向かう。

あるいは、荻窪に帰る。

何日かかけて、九つめの国立に着いた。

 

屋根のある駅舎から駅前のロータリーに出たとき、空気が軽い、と思った。

荻窪からくれば空気がきれいなのも感じるが、それに加えて質のよいリネンのような清涼感があった。

ここいいね、と息子にいうと、彼も、いいねえ、という。

 

それであたりを見渡したら、三井のリハウスが目に入った。

あ、あそこにある、と歩いていき、いきなり、マンションありませんか、と聞いてみた。

それでほぼ決めてしまった。

あとはなりゆき。

 

品川に住んでいたときには夢にも思わなかった遠い西の街。

品川には実家がなくなり、いまはここがわたしの住処。

どこかへ出かけて帰ってくると、駅前で必ず思うのだ。

この空気、この感じ、と。

最初に息子と降りた日と、それはまったく変わらない。