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羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

女子校バレンタイン

女子校のバレンタインデイの話なんて書いても面白く思う人はいないかも知れないけれど、きょうの話題ということで書いてみる。

 

われらが母校は、麹町の日本テレビの裏にあった。

いまも学校はそこにあるが、日本テレビは越してしまった。

 

当時まだ友チョコというものはなく、バレンタインデイのチョコのやりとりは、後輩から先輩へが主流だったと思う。

わたしは高校に入ってから、二年後輩の子たちにもらうようになった。

手作りのチョコレートケーキもあった。

通学時間が長くて、電車は混雑しているから、クリームが箱のなかのあっちこっちについてしまっていて、後輩はすまなそうな顔をしていた。

だいじょうぶ、できたてのところは十分想像できるよ、とわたしは慰めた。

 

わたしは部活に入っていなかったから、あげる先輩もいなかった。

ただ、中3のとき、ともだちについてきてと頼まれて、なかば強引に高校1年の先輩の教室までひっぱっていかれたことがある。

 

わたしたちの学校は私服だった。

1学年でも上だと、みんなおねえさんぽくお洒落に見えたものだ。

ともだちもチョコレートケーキを作ってきていた。

ケーキの上に、先輩の名前のアルファベットをクッキーで焼いてのせてある手の込んだものだった。

そのアルファベットもやはり、通学中にずれていて、彼女が渡す前に必死に直していたのを覚えている。

 

先輩は、文化祭の劇で「ベルサイユのばら」のオスカルを演じた人で、当時のわたしたちには、髪型といい脚の長さといい、鼻筋の通った美形ぶりといい、たしかにオスカルらしく見えた。

いま思えば先輩だってたった16歳の女の子だったのに、いま思い出しても大人なのが不思議だ。

ちなみに、先輩たちの「ベルサイユのばら」は宝塚版より早かった。

まだアンドレもオスカルも連載で元気なうちに上演されたのだから。

 

先輩はベルボトムのジーンズにベージュのクルーネックのセーターという、爽やかな出で立ちで、どうもありがとう、とバタ臭くほほえんでケーキを受け取ってくれた。

ともだちはまっかになって、よかったら食べてください、というのがやっとだった。

 

そのしばらくあと、その先輩がアメリカへ1年間のホームステイにいくことになり、ともだちは泣いた。

ホームステイから帰ってきたら、わたしたちと同じ学年になってしまうというのがその理由だった。

そうならないためには自分も来年留学するといいだし、担任の先生に話を聞きにいくからいっしょにいって、とまたひっぱっていかれた。

今度は教員室だった。

先生は留学の手続きをざっと話してくれて、おとうさんおかあさんとよく相談してらっしゃい、と彼女を諭した。

 

そのうちに彼女の気持ちもおさまったようで、留学の話はしなくなった。

翌年、わたしたちの学年に編入してきた先輩は、どことなく、普通の人になっていた。