わたしの落語史1
落語が好きになったのはいつか。
はっきりとは覚えていない。
4歳のときに日劇でレビューと林家三平の落語というショウがあって、それを見たのが最初だということはわかっている。
レビューでダンサーが壁に出たり入ったりするのが不思議だった(壁はゴムベルトを並べて作ってあったとあとで母に聞いた)のと、林家三平がステージ上を左へ右へ動き回り、場内が爆笑に包まれていたのが印象に残っている。
その翌年あたりからは、日比谷の東宝名人会に毎年、お正月とお盆に連れていかれた。
両親がそれで上京した親戚をもてなしていたのだ。
毎回劇場の階段に長いこと並ぶのが退屈だった。
名人会では落語はよくわからないので、奇術やマリオネットを楽しみにしていた。
たまさか、小さなおじいさんの落語家のくすぐりが理解できて笑うと、そのおじいさんから「おじょうちゃん、わかるの」といじられた。
周りの大人が喜んでいたっけ。
いま思えば、この名人会では古今亭志ん生や桂文楽を聴いていたはずだ。
まったく覚えていないのが残念でならない。
演目のなかに粋曲というのがあった。
柳家三亀松という人が、三味線を抱いて舞台に出てくると、あたりはなんともいえない雰囲気になった。
わたしは、あの人はなんだかびっしょり濡れている、と思ったものだ。
芸人の色気が、こどもの目には濡れて見えたのだろうか。
都々逸の音の数がいい感じだとも思った。
家では、日曜日の昼は演芸番組を続けて見ていた。
「大正テレビ寄席」と「末広名人会」だ。
(二つの番組のあいだに「がっちり買いまショウ」が入っていた)
前者は漫談や色物、後者は落語と大喜利がメインだった。
大喜利がとくに気に入っていた。
このあたりで、落語でも笑えるようになり、落語も好きになってきたのではなかったか。
10歳くらいのころだったと思う。
つづく...