せっけんの箱舟
こどもは、誰にも聞いていないと思われるのに、人類の歴史や精神史に関わるようなことを、ぽっといったり、遊びのなかで表現したりすることがある。
わたしも、二人を育てるなかで、そんな経験を何回かした。
それは彼ら自身のことだから、きょうは自分が覚えている自分のことを書こうと思う。
小学校1年生の一時期の話だ。
母にせっけんの紙箱をもらった。
10個くらい入っていた、進物用の、薄い箱だ。
白地に淡いピンクとブルーの波のような模様できれいだった。
わたしは当時、図鑑に凝っていた。
最初は動物図鑑、次に魚類の図鑑、昆虫図鑑、植物図鑑の順で本棚に増やしていった。
とくに好きなのは動物図鑑で、全ページを覚えるくらい読み込んでいた。
描く絵も動物ばかり。
画用紙に色鉛筆で描いてはさみで切り抜く。
絵のなかにいるのでは満足できず、切り抜いて手で動かせることがわたしには必要だった。
熱中して、つぎつぎに描いては切り抜く。
リアルにではなくて、かわいらしく描いて雄と雌の区別をつけた。
きりっとした顔つきの雄に、リボンをつけた雌、という具合に、つがいを作っていったのだ。
学校が終わって、家に帰るとすぐ始めて、晩御飯の時間まで描いていた。
ライオン、トラ、ゾウ、キリン、シマウマ、キツネ、オオカミ、レッサーパンダ、オカピ、カバ、サイ、ヒョウ...
けものの描きたいものが少なくなってくると、ワニやヘビ、トカゲなど爬虫類に移った。
母に御飯だから片付けなさいといわれて、はーい、とやめて、せっけんの箱にしまう。
箱は薄いけれど、画用紙に描いたぺったんこの動物たちだから、いくらでもしまえた。
つがいの種類が増えていくことがうれしくてしかたなかった。
箱は便宜上のものだったかも知れない。
でも、つがいを一組ずつ描いていったのだった。
ノアの方舟について知ったのは2年後くらいか。
そういうのがあったんだ、と興味深かった。
旧約聖書の創世記を読んだのは中学1年のとき。
6年前に毎日自分がしていたことをまた思い出して、凝り性の一人っ子だったなとおかしくなった。
こども心に、つがいを、これからこどもを生み出すものとして認識していた記憶はある。
雄と雌とがいて、こどもが増える。
おとうさんとおかあさんがいて、こどもが生まれる。
人間も、動物もみんなそう。
自分の箱のなかに、つがいがいて、ここから増えていく。
かわいい赤ちゃんたちが生まれる。
そのことに喜びと興奮を感じていたのだった。