写真立て
部屋の本棚に、布張りの小さな写真立てがある。
左右に1枚ずつ入っていて、本を開いて立てるような形になっている。
左には、息子の年少組のときの遠足の写真。
右には娘が生後2か月で初めて公園に連れていったときの写真。
時期としては2枚とも同じ。
1996年の5月の写真だ。
息子は水筒を肩からななめに下げ、蓋のコップを持って、口に麦茶を含んでほっぺをふくらませている。
胸には幼稚園のバッチと名札。
背景は芝生と木と空だ。
娘は赤い小さな顔で眠っている。
白いベビー帽子のつばを後ろに折り返してあるのは、顔をよく見せるためにわたしがしたのだろう。
白いレース織りのおくるみごと抱いているわたしの手も写っている。
後ろは草と黄色い花。
ここからの3年間は二人を育てることがあまりに大変で、最近まであまり思い出したくないほどだった。
でも、写真だけを見ていると、かわいらしくて、毎日いっしょにいられたことが奇跡のように思う。
そんなふうに当時から思えていたら、大変さもまた違っていただろうに。
幸いにして、男の子と女の子を育てられた。
いま街で、赤ちゃんや小さい子を見ると、男の子でも女の子でも「知っている」という感覚になる。
抱いたときの骨格の違い、動きの違い、重さの違い。
体型や皮膚の感じの違い。
男の子と女の子だったから、比較しながらおよそ「こども」いうものを覚えることができた。
同性の二人だったら、または一人っ子だったら、三人以上だったら...
それはまた異なる覚えかたになったのだろう。
これからもずっと持っていたい写真だ。