羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

クラスメイト再編

わたしは中学高校と6年間続いた女子校で学んだ。

一学年250人一クラス50人。

毎年組み替えがあるから、ほぼすべての子と一度はクラスメイトになる計算だ。

それでも、卒業までほとんど話をしたことのない子も、互いに残る。

 

それから30有余年経ち(嗚呼)同窓会やSNS、小規模な集まりで交流が盛んになってきた。

在校中に親しかったかどうかは関係なく、なんらかの凝固剤が入ってすうっと寄りあうメンバーで、こもごも語りあう。

それがとても楽しい。

 

12歳から18歳まで同じ学校にいた間に、心のなかのある部分に、同じ言葉を書きつけたのだと思う。

その後には、それぞれにそれぞれの言葉を取り入れているのだけれど、会ったときには同じ言葉をキイにして、互いの言葉を聞きあうことができる。

相手の経験を、もう一人の自分の経験のように理解できるのだ。

 

彼女たちに共通する特徴は、親切であること。

考える力を他者のために使おうとすること。

それを「いいこと」だと思っていっているわけではない。

確率としてその親切は半分は外れるのだ。

自分でも実証済みである。

それでも、反射的に、いま目の前にいるこの人にはなにが必要か、どうしたら助けになるか、を考えてしまう。

 

自分自身のためだけになにかしていることにいたたまれなくなるタイプ、とでもいったらいいか。

これも自省していうのだけれど、このへんでいったん、自分自身のためだけに集中してみたらどうか。

意外と大丈夫なばかりか、むしろうまくいくかも知れない。

 

きょうもあった、楽しい集まりの後で、そんなことを考えている。