羽生千夜一夜 

羽生さくる 連続ブログエッセイ

自信ある?

ともだちのブログからのリレーエッセイぽく書いてみる。

「自信」って、なに?

わたしは自信を持ててる?

自信のない自分は嫌い?

 

全幅の信頼、という言葉がある。

100%信じています。

イメージとしては100%以上、深皿にラップをぴっちり掛けるように信じている感じ。

 

自分に対して、そんな全てを覆うような自信は、わたしは持っていない。

肌寒い夜にベビー毛布を掛けて寝ようとするような、寸足らずの自信でしかない。

 

たとえば、仕事は依頼通り締め切りも守ってキッチリ仕上げることには自信があるが、家事にはからきし自信がない。

または、母親として、こどもたちの知識欲や好奇心をそのときそのときでいちばん大事にしたということには自信があるが、生活全般において、自立できるように育てたかと聞かれたら、まるで自信がない。

 

つまり、あちらが立てばこちらが立たず的自信に満ちあふれているわけだ。

家事には自信がないことについては確固たる自信がある、という具合。

 

それでは、家事が不得意だったり、こどもたちに生活上の手本となるものを示せなかったりする自分は嫌いかというと、それほど嫌いではない。

それらのことに自信がない自分のことも、そうダメだとは思っていない。

 

自分が他人で、自信のないわたしを外から見たとしたら、欲張りなさんな、というだろう。

人の分も取っておいてやりなさいと。

 

わたしとしてはきょうはこれが精一杯。

明日には、一歩前へ出て、一歩分ましになる。

明日のその自分をよしとするなら、きょうの、一歩手前の自分、ましにはなってない自分もよしとすればいい。

 

自分の現状をきょうというタイミングで認める。

きのうはひどかった、明日はもっとまし。

まんなかの、ひどくもないしましでもない自分を自分だと思う。

 

それがわたしの自信。

ダメな自分ができる自分の裏打ち補強になって、全体が丈夫になっている。

いつからかそんな気持ちになっているのだ。